神様2011 (川上弘美)を読んだ

ひーら

2017年01月04日 09:46

2017年1月1日読了、今年の読書、最初の一冊は、川上弘美の神様 2011にした。




1994年にパスカル短編文学新人賞を受賞した神様 (中公文庫)は、文庫本で10ページほどの短編。



近所に引っ越してきた「くま」に誘われピクニックをして過ごした一日について綴った小品で、宮沢賢治の童話の雰囲気にも似ている。絵本として出版されてもいいような作品だが、出版されていないのだろうか。

「神様2011」は、そのデビュー作の舞台を2011年に移し、リライトした作品。
言うまでもないが、2011年は東日本大震災があった年で、本作では、作中「あのこと」と書かれる原発事故後が舞台となっている。そして、リライトの範囲は、舞台が原発事故後の放射能に汚染された環境であることに限られ、主人公である「わたし」と「くま」がピクニックに出かけ、魚を獲って帰ってくるというストーリーに違いは無い。途中で出会う人が旧作では家族連れであったのが新作では大人だけだったり、話す話題がセシウムや被曝線量のことであったり、ディテールが異なるだけである。

書き直されたこのファンタジーの中で「くま」と「わたし」の過ごす一日は放射能汚染の中での一日で、それは旧作でそうであったように、本作の「くま」と「わたし」にとってごくごく普通の日常なのである。

今、現実に2017年の日本、福島に生活するということは、このファンタジーの中での「くま」と「わたし」のように、それを特別なこととしてではなく、日常そこにあるという当然のこととして放射能汚染と付き合い、暮らして行くということであるのだろう。

講談社から出版された「神様2011」は、50ページに満たないハードカバーの小さな本だが、神様、神様2011、あとがきで構成されている。

神様、神様2011の2作品を続けて比較して読むことで、ファンタジーを浸食してきた引き返しのできない現実にげんなりせざるを得ないが、あとがきに原発事故についての著者の怒りと共に記される「それでもわたしたちはそれぞれの日常を、たんたんと生きてゆく」のことばのとおり、世界がどのようになってしまおうと、私たちにはその世界の中で過ごす日常こそがリアルに大切なものなのである。





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